中世のスペインから

今から700年程前、13,4世紀のスペインは、
その後のイタリアルネサンスの胎動を秘めた、文化の花開いた時代でした。
イベリア半島の寛容な支配者として君臨してきた回教徒によってもたらされた
当時の最先端であるイスラム文化と、彼らによって発掘・継承されたギリシャの智恵は
キリスト教による国土回復(レコンキスタ)の気運に燃えるスペインの文化に流れ込み、
そして交じり合い、ヨーロッパの誕生を予感させる初々しく芳醇な香りを漂わせていました。

コルドバ、セビリャといった都市は、ヨーロッパ中からの留学僧・学生たち
イスラム文化への橋渡し役を担ったユダヤ人、そして商人やイスラムの人々など
多くの人々で活況を呈し、栄華を極めていました。
また、北部スペインのガリシア地方では、
当時興隆した聖ヤコブ信仰の総本山サンティアゴ・デ・コンポステラが
フランスを中心とするヨーロッパ全土から無数の巡礼を集め
整備された巡礼の街道を多くの庶民、商人が行き交い、街道筋には宿、市が賑わい
難所には盗賊・追い剥ぎも出没する、そんな人間の情知が半島で
まるでスープの様に、ことことと煮込まれていたのです。

そして時は過ぎ、700年の眠りから覚めた七つの「恋の歌」がありました。
マルティン・コダス Martin Codaxの手になる
カンティガス・デ・アミーゴ Cantigas de amigo がその歌です。
1914年、マドリードの古本屋で、キケロの著書の裏張りに使われていた羊皮紙から、
偶然に発見されたこの写しには、当時流行したものの、音符のひとつさえも残らなかった
女性から男性に宛てた、この流行歌の譜面が書き留められていたのです。
大西洋を望むガリシア地方・ヴィーゴの海辺に佇み
恋人の帰りを待つ乙女は波にこう問いかけます。

おお、ヴィーゴの海の波よ
お前は私の恋人を見たの?
ああ神様、すぐに会えるのでしょうか。
 

一方、700年近くの間、修道院や図書館で大事に守られてきた写本もあります。
ひとつはエスコリアルの修道院やイタリアの図書館などに、見事に美しい写本の伝わる
カンティガス・デ・サンタマリア(聖母マリア頌歌集) Cantigas de Santa Maria 。
もうひとつは、バルセロナ近郊の異様の岩山・モンセラートの修道院に伝わる
リブル・フェルメール(モンセラートの朱い本) Libre Vermell です。

カンティガス・デ・サンタマリアは
このようなイスラムとヨーロッパが出会う国際的な雰囲気の中
法律、歴史、地理、天文学、果てはチェスに至るまで、幅広く学問の援護者として
賢王の誉れ高かったアルフォンソ10世 Alfonso X el Sabio によって編纂されました。
羊皮紙に描かれた400余曲のメロディと10曲毎に挿入されたミニアチュールは
美しさを競って余りあり、また、中世の人々の心とその姿を眼前に彷彿とさせてくれます。
歌詞には、当時叙情的な言葉として寵愛されたガリシア語が用いられ
400数曲のうち、物語歌がその9割を占めています。
苦難や困難あるいは病気の際に現れ、救いを授ける聖母の優しさは
節操がない、とまで思わせる程の寛容さと慈しみに溢れ
その物語は、神社仏閣で御利益を願う人々の気持ちにも相通じるかのような
当時の信仰と生活の様子を生き生きと伝えてくれるのです。

また、リブル・フェルメールは、これより少し下った14世紀の作品とされ
モンセラートの教会で、信者やあるいは巡礼者が歌った聖母賛歌や
輪になり手をつないで踊ったであろう民謡風の曲が残されています。
カンティガスが例外なくメロディだけの単旋律歌曲であるのに対して
この曲集には単旋律のほか、二声、三声で書かれた美しい曲も含まれ
宗教用語であるラテン語のほか、俗語である中世カタルーニャ語も使われるなど
変化に富み、興趣の尽きることのない素晴らしい曲集となっています。

                     コンサートのプログラムより written by S.Shimada
1998.12.1 updated

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