「遅れてきた春」 0013
 5月の夏を予感させる風が、長く幅広のレースのカーテンをなびかせ、甘いミントシロップ入り炭酸水の、人工着色料とは分かっている緑色の液体を、目蓋を半分閉じ、首を少し傾け、サマーチェアに沈みながら見るとはなしに眺める女の栗色の髪に、触れて行く。
 もうじきヴァカンスになれば、フランス国内のみならず近隣からも人が押し寄せ、ここ南仏キャプ・ダグニュのパステルカラーのアパート群も普段と見紛う程の賑やかさを見せるだろう。今はまだ、繋留された様々なヨットたちが、ゆらゆらと波にまかせてゆれている。
 プーー、 、プーー、 、プーー、 、プーー、 ...

「 Allo! 」
「おばさま! 体調はどう?」
「カミーユ! あなたなの? あなたこそ...」
「おばさま、わたしこれからベルンに向かうわ。」
 カミーユは何も知らない。果たしてあの子にスイス行きを勧めたのは無意識にだったか、それとも...?  モンペリエ、アヴィニョン、ジュネーブ、ローザンヌ...ベルン。 550Km...。
 テレーズはシトロエンBXのスターターキーを回し、ゆっくり車高の上がり切るのを待つ。 リアシートには、薄汚れたヴァイオリンケースを横たえて...。